談合が何故起こるかを根本的に考える


国が発注する鋼鉄製橋梁工事の長年に亘る談合が公正取引委員会の告発を受け、東京高等検察庁が捜査を進めている。何がどうなっているのやら。いや、小説や漫画のネタに散々使われてきたものが、どうして今問題になっているのやら。そして、何故また鋼鉄製橋梁なのか。さっぱり分かりませんね。これをやるなら、他ももっとあるでしょうに。どこまで本気なの?

土木や建築の公共工事は、一件ごとの請負金額が大きいし、毎年の予算もまた凄い。そんな訳で、その金に群がるのもまた凄い。結構煩いのが色色いると、適当なところで囲い込みができる。ま、社会現象としては在り来たりかな。許認可の要る事業は押し並べてそんなもんじゃぁないかな。銀行とか、農業権とか、他にもそんな例は見つかるでしょ。要は隠れて山分けの図ということ。大っぴらにやっちゃあ、それこそ収拾がつかないから、すぐにクローズドな環境と秘密結社ができる。勿論、発注側の役人も仲間に入れるし、分け前も保証する。そうして皆の取り分を上乗せした発注予定金額、秘密であるはずの情報が業者に筒抜け、やがて分け前が複雑かつ巧妙に分配される。この手の悪知恵は尽きることがない。

つまり、本当に本気で最後までやるとしたら、発注側、そして監察の人間も引っ張り出さなければならない。検察庁に悪人がいないと誰が思うのか。

大きな金額がそのまま大口で動く限り、甘い汁を吸おうとするあくどい者は後を絶たないだろう。ここらで中央集権体制や、政府主導の事業形態を見直すのがいいと思うのだが、かと言って、役所が小さなことまで管理して労働者を直接雇って工事するのが良いんじゃないの、と嘯いても誰も相手にしないだろうな。でもなぁ、政府、行政が大きいほど社会は歪むと思うんだよなぁ。