ヨーロッパ文明の源にかかわる建造物が発掘される


興味深いニュースがあったので、アップしておく。

U.K. の The Independent 紙、2005年6月11日付けの記事によると、

考古学調査によって、紀元前4800年から4600年の間に建造された150以上の神殿が、ドイツやオーストリア、スロヴァキアの野原や都市の下に確認されました。ヨーロッパではメソポタミアやエジプトの後で壮大な建築物が発展したと考えられていたので、ストーンヘンジやピラミッドより2000年も前の遺跡が見つかり、注目を集めています。

神殿は、直径150メートルにおよぶ円形施設で、土と木を材料にしていたようです。最も発掘が進んでいるのは、ドレスデン市内のもので、ここの神殿では、はっきりとした神域が屋内に設けられ、2つの柵、3つの土盛り、4筋の溝に囲まれます。この内部空間を「まもる」仕組みは、防御のためではなく、一般の部族民に「至聖所」で執り行われる神事を見せないためだったと考えられています。

巨大円形神殿を建設したのは宗教従事者で、現在の北セルビアハンガリーのドナウ平野から何世紀も前にやってきた移住者の子孫でした。この神殿の建設者達は遊牧民で、多くの牛、羊、ヤギ、豚を飼い、人や動物を象った石、骨、木、陶製の道具をつくりました。また、幾何学模様の投機類を数多く製造しました。

建設者達は、大きいと50メートルにもなる長屋に共同で住み、しっかりとした村々を周りに集めていたようです。

ライプツィヒ近くの Aythra でも、25ヘクタールの広さに村落と神殿の遺跡があり、200棟の長屋が見つかりました。人口は300に上り15ないし20棟のとても大きな共同建物に、高度に組織化されて生活していたと考えられています。

日本でも新聞やネットで報道されているが、余りにも省略が酷い。ここに上げたものも http://news.independent.co.uk/europe/story.jsp?story=645976 を、意訳した上で、興味のある部分を中心に編集したものなので、原文を確認して欲しい。

ドナウ平野にヨーロッパ文明の源があったという説は、『マスター・キートン』で覚えているのだが、こうなってくると漫画のネタ元が何だったのか気になる。

それにしても、建設技術って、民族のアイデンティティなのだろうか。日本の仏堂建立でも、工事関係者が集団で遣って来て、工事全体が渡来人に任されたなんてことはありえるのか。そこそこ面白い説だと思うが。